日本にはこれまでに 5 回行きました。なぜ日本には何度も行く価値があるのか、と疑問に思う人もいるかもしれません。京都の晩秋の息をのむような紅葉でしょうか。それとも、クリスマス前夜の函館の街に上がる花火でしょうか。私にとっては、どちらも本当に惹かれているポイントではありません。シャッターで瞬間を記録するのが好きな「観察者」として、私がより夢中になっているのは、この国の風景の背後にある論理です。ここでは「人・モノ・街」の三つについて、断片的な気づきをいくつか共有したいと思います。
1. 秩序と慎み:日本社会を動かす「見えない契約」
日本に降り立つと、どうしても言葉の壁にぶつかります。英語の普及度が限られていることと、私たちが日本語をわからないことが重なって、コミュニケーションはいつもスムーズとは限りません。それでも印象的だったのは、日本の人たちが見せる聞き手としての粘り強さです。理解できない言葉を前にしても、こちらの表情や身ぶりを辛抱強く読み取り、「つなぎ合わせる」ことで意図を理解しようとしてくれます。面倒がったり、いらだったりする様子は少しも見せません。言葉を越えたこの共感の姿勢は、旅行者に大きな安心感と、尊重されているという尊厳を与えてくれます。「なぜ最初から翻訳アプリを使わないの?」と聞かれるかもしれません。私は翻訳アプリを使う前に、まず相手の了解を得るようにしています。いきなりスマホを相手の口元に「突きつける」のではなく。これもひとつの基本的な敬意だと思っています。
言葉のほかに、日本の人たちの「譲り合い」も称賛に値します。電車では降りる人が先で乗る人が後というルール、エレベーターでの譲り合い、自然とできる行列。これらはもう社会の土台になっています。そして譲り合いについて私がいちばん印象に残っているのは、写真を撮っている人がいるときの「回り道」です。あの日、私たちは神戸大学の展望スペースで写真を撮っていました。行ったことのある人ならご存じのとおり、あの展望スペースは平らな長方形の通路で、カフェと閲覧室をつないでいる公共のエリアです。「額縁構図」の写真を撮りたければ、撮影者は長方形の一方の端に立ち、もう一方の端に向かって撮る必要があります。私たちは夢中になって撮りながら、こんなにすばらしい撮影ポイントなのに、なぜ通行人がまったく写り込まないのだろうと不思議に思っていました。振り返ってみて初めて気づいたのです。この長方形の通路を通る人たちが皆、申し合わせたように通路のいちばん外側、つまり私たちの後ろを通っていて、弧を描くような回り道の動線ができていました。なぜ「回り道」と言うのか。彼らはそのまままっすぐ通り抜けてもまったく構わなかったからです。私が撮影しているからといって歩く距離を増やす義務はありませんし、そもそもその長方形の通路は決して狭くありません。
それ以来、私は「譲ってもらった」あとの感謝について考え直すようになりました。感謝は社交辞令の形だけのものであってはならず、心からの共感であるべきだと気づいたのです。なぜなら、譲り合いの中にはもともと必要のないものもあり、相手は自分の「便利さ」をあえて手放して、こちらの「体験」をかなえてくれているからです。他人を尊重すれば、自分もより多くの尊重を受けられる。それこそが、本当の意味での相互尊重なのかもしれません。茶道の「一期一会」は、日本の人たちの骨の髄まで本当に刻み込まれているのでしょう。
2. 共感のデザイン:小さなディテールに隠れた「声なき気配り」
日本を旅したことがあって、注意深く観察したことがあるなら、いえ、わざわざ気にかけなくても、ふだんの生活習慣のとおりに過ごしているだけで、きっとどこかの瞬間に驚くはずです。なぜここまで行き届いた配慮ができるのだろう、と。日本のデザインには、思いもよらないディテールがいたるところに隠れていて、デザイナーが本当に自分で製品を使ってみたのだと感じさせてくれます。二つ星のホテルでも五つ星のホテルでも、あるべきものはひとつも欠けておらず、部屋も同じように整っていて清潔です。
飲食店では、吉野家のような手頃なファストフード店でも、生卵を頼むと器が二つ付いてきます(一つは卵を割るため、もう一つはご飯に混ぜたり殻を入れたりするため)。男女共用のトイレには、男性も小用の際は座ってほしいと明記したお願いが貼られていて、用を足す音を隠してプライバシーを守るための「音姫」も備えられています。コンビニのホットドリンクの棚では、白湯の特別なパッケージが断熱にもなり、カイロ代わりにもなります。さらに、牛乳パックの切り欠き(目の不自由な人が牛乳を見分けやすいように)、おにぎりの包装の「3 ステップ開封」、缶飲料の点字など、ディテールは数えきれません。
個人への配慮だけでなく、特定のグループへの気配りも、社会を動かす秩序の中に表れています。
日本では、観光地でも駅でも空港でも、修学旅行中の学生たちの集団を次から次へと必ず目にします。私が驚いたのは、注意して見ると、こうした場所には修学旅行の「専用ルート」が設けられていることが多いという点です。駅には「修学旅行専用」と表示された列車があり、空港には専用のチェックインカウンターまであります。学生という集団へのこうした特別な手配は、大規模な団体移動を効率的にするだけでなく、一般の旅行者の邪魔にもならないようにしています。「次の世代の成長」を社会全体で支えるこの仕組みも、人への思いやりのきわめて重要な一部です。
私が言いたいのは、日本の人の一日に自分を重ねてみて、ゆっくりと体験してみれば、いたるところにディテールと人への思いやりがあることを感じられる、ということです。「どうしてあれがないんだろう」と考えたちょうどそのときに、ふと見ると必要なものが目の前にある、ということもあるでしょう。ただ、こうしたディテールのデザインはたいてい目立たず、必要になったときに初めてその存在に気づくのです。
ディテールの話のついでに、日本のトイレットペーパーについてのよくある誤解をここで正しておきたいと思います。日本のトイレットペーパーはとても薄くて破れやすい、と不満を言う人がたくさんいます。でもそれは実は、日本では温水洗浄便座の普及率がきわめて高く、飲食店でも商業施設でも、ほとんどどこでも見かけるからです。温水洗浄便座の洗浄機能はとても充実していて、男性も女性も洗浄する部位、水圧、温度をそれぞれ選べ、洗浄効果は抜群です。ですから私の考えでは、日本のトイレットペーパーの主な目的は「水分を拭き取る」ことだけなのです。新しいタイプのトイレの多くでは、便座に乾燥機能まで付いていて、自動で開閉するふたと組み合わせれば、用を足すあいだずっと、汚れているかもしれない場所に両手で一切触れずに済みます。
3. 究極の効率:人を中心にした「都市の毛細血管」ネットワーク
私は『シティーズ:スカイライン』のプレイヤーで、ゲームをきっかけに都市計画の基礎も少し学びました。そのため旅行中も、自然とこの分野の根底にある論理について考えてしまいます。
東京に初めて来た人の多くは、きわめて複雑な公共交通網にきっと混乱するでしょう。けれども地元の人の視点に立って、仕組み全体の論理を深く理解すると、これが実はきわめて効率的で便利なシステムであり、東京がこれほど巨大で高密度な都市圏を支えられている礎でもあることがわかります。
まず、私たちがふだん「東京」と呼んでいるのは、実は東京大都市圏(一都三県)です。線路を走る列車は、主に JR、東京の地下鉄、私鉄、新幹線の四つに分かれます。列車の種別はさらに普通、快速、急行、特急などに細かく分かれています。
東京の都市開発の考え方は「まず鉄道、それから街」です。さまざまな鉄道会社が自由市場で競い合いながら線路を敷き、土地を奪い合います。線路ができると、駅を中心に商業施設や住宅地をつくり、地価を上げて住民に家を買ってもらいます。その後、沿線にさまざまな生活施設を整え、知らず知らずのうちに住民を鉄道会社がつくった「生活圏」に取り込んでいきます。お金は最終的に鉄道会社に流れ、この循環を繰り返して街はどんどん広がっていきます。こうしてつくられた衛星都市は特急列車で東京の中心部と結ばれ、究極に効率的な通勤を実現しています。たとえば横浜から東京駅までは、30 分もかかりません。
まさにこのモデルのおかげで、東京の公共交通のカバー率は驚くほど高く、地域の奥深くまで入り込んだ「毛細血管」のようなネットワークができあがっています。駅から徒歩 15 分以上かかる住宅地は、ほとんど見当たりません。さらに駅で採用されている線路の共用や直通運転の仕組みによって、同じ駅から JR にも地下鉄にも、さらには新幹線にも乗ることができます。
想像してみてください。東京のどこに住んでいても、家を出て 15 分以内に歩いて行ける場所に、全国へつながる多機能な高速鉄道の駅があるのです。
駅は地域の魂であり、中心だと言えます。観察してみると、東京の大きな駅の周り 500 メートル以内には、必ずその地域でもっとも密集した飲食店、診療所、コンビニが集まっています。日常の用事を満たせるコンビニが平均して 150 メートルもしないうちに 1 軒あり、自家用の交通手段に一切頼らなくても(電動スクーターすら必要なく)生活圏をまかなえます。こうした「歩きやすい」都市計画の中では、日本の人たちは車を買わなくても、非常に高い生活の質を得られます。フードデリバリーやネット通販に過度に頼る必要がないので、実店舗が栄えるのは当然です。東京は高層ビルが多いわけではないのに、街並みがいつも比較的にぎやかに見えるのは、そのためです。
おわりに:秩序の根底にあるのは「人」への尊重
人と人とのあいだの徹底した慎みから、モノのデザインに隠れた声なき気配り、そして毛細血管のように正確に動く都市のネットワークまで。
この三つの側面の断片をつなぎ合わせてみると、日本社会を動かしているあらゆる論理の根底が、実はひとつの言葉を指していることに気づきました。尊重です。
この尊重とは、他人に迷惑をかけないという自覚であり、こちらが感じるであろうあらゆる不便を先回りする心配りであり、そして何より、限られた空間資源を最大限に生かす知恵です。それによって、誰もが(地元の住民でも、通りすがりの旅行者でも、障がいのある人や目の不自由な人でも)この高密度な社会の中で、品位と尊厳をもって暮らすことができるのです。